- 2024.01.26
- マーサズ・ヴィンヤード島
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今回のにこ~るブログは、マーサズ・ヴィンヤード島についてです。
マーサズ・ヴィンヤード島はかつて、ろう者/聴者関係なく、島に住んでいた人々が当たり前に手話でコミュニケーションを取っていました。
どのような島だったのか、簡単にですがお話いたします。
【現在のマーサズ・ヴィンヤード島について】
アメリカ合衆国東部にある、マサチューセッツ州(白地図黄色斜線部)。その州都、ボストンより南方にある大きな三角形の島がマーサズ・ヴィンヤード島です。
現在では、アメリカの著名人が夏休みを過ごすリゾート地として、また、映画『ジョーズ』の撮影地としても有名です。
図マサチューセッツ州白地図州都あり(日本語)フリーデータ より(黄色斜線、赤丸、地域名は筆者追記)
https://www.abysse.co.jp/america-map/index.html
【島のろう者(17世紀~19世紀頃)】
1630年代ごろから、イギリスのケント州ウィールド地方から移住してきた人たちが、1644年にマーサズ・ヴィンヤード島に定住をし始めています。当時は島と北アメリカ大陸を人が行き来することが少なく孤立状態にあり、また近親で婚姻を結ぶことも多かったため、島では遺伝性のろう者が多く生まれたそうです。特に、島内の地域的にも孤立していたティズベーリとチルマークという地域では、ろう者が多くいたそうです。
19世紀には人口比として島にろう者が多くいる珍しさから、アレクサンダー・グラハム・ベル等、島外部の研究者が、研究のためにヴィンヤード島を訪れている記録があります。
しかし、19世紀の後半から流通が増え、島の人々と島外の人との婚姻が増えたことや、避暑客やポルトガル人の移民流入により、遺伝性のろう者の出生が減っていきました。
【島で使用されていた手話】
島では、マーサズ・ヴィンヤード手話(以下MVSL)という、アメリカ手話(以下ASL)とは別の手話が使用されていました。
島では聴者も幼いころからMVSLを目にする機会が多く、自然とMVSLを身につけ、ろう者との会話だけでなく、聴者同士でもMVSLを使用して話すことがあったそうです。
19世紀になり、島のろう者がハートフォード(※1)のろう学校に通うようになり、MVSLとASLは相互の言語体系にいくつか影響を与えた(クレオール化した※2)可能性があるそうです。
(※1)ハートフォード…コネチカット州の州都。コネチカット州の場所は白地図参照。
(※2)クレオール言語…異なる言語を話す人々の共通語として、互いの言語が混合して生まれた新たな言語(ピジン)が、日常生活で使用されるようになり、その地域の人の母語として使われるようになったもの。(ピジンとクレオールの違いについて│旅する応用言語学 https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/7891)
しかし、【島のろう者(17世紀~19世紀頃)】の項で述べた通り、19世紀後半から遺伝性のろう者の出生が減っていきました。それを機に、MVSL話者も同様に少しずつ減っていったそうです。
【まとめ】
当時島にいた人々にとっては、ろう者の存在も手話も「当たり前」だったため、島の聴者に話を訊いても「○○さんは耳が聞こえない」という事についてあまり意識されていなかったという趣旨の事が、『みんなが手話で話した島』には書かれていました。このことからも「障がい」というものは、社会的な事由で起こっていると言えるのではないでしょうか?
『みんなが手話で話した島』には当記事にまとめたよりも、ずっと詳しくマーサズ・ヴィンヤード島の歴史、島のろう者や手話について書かれています。
【参考文献】
・『みんなが手話で話した島』(ノーラ・エレン・グロース作、佐野正信訳、ハヤカワ文庫NF、2022) https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015250/
・マーサズ ヴィニヤード島 旅行・観光ガイド 2023年
https://www.tripadvisor.jp/Tourism-g29528-Martha_s_Vineyard_Massachusetts-Vacations.html
・大橋力『音と文明』の周辺 oto-5 手話
https://dabohazj.web.fc2.com/kibo/note/oto/oto-5.htm#12-8
・『手話の世界へ (サックス・コレクション)』(オリバー・サックス作、佐野正信訳、晶文社、1996)https://honto.jp/netstore/pd-book_01323479.html#productInfomation